人間はプログラム|マネジメントプログラム

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「人間はプログラムなのか?」という問いに対し、おそらくは全会一致で「違う!」とされると思います。

私は「人間はプログラミング化された私という個体」という意見を持っているのですが・・・
ワケ分かりませんよね。

元々、人間がプログラムを作成することを「プログラミング」(programming)と言います。
例えば、コンピュータでの処理でいうプログラムとは、人間によるプログラムの記述のことを指します。
つまり、その分かりにくいプログラムを人間に見える形で表したのが、人口言語=プログラミング言語なのです。
また、その作成されたプログラムをソースコードと言います。

もうお分かりかと思いますが、人間は幼少期やその成長過程で、親や周囲の人間に「プログラミング」されている存在であるという結論なのです。
つまり、思考していると思っているのは、そのプログラム範囲の応用や、またはプログラム内の処理だけなのです。
そして、そのソースコードは人から人へ、いわば共有される形にあり、それを総称して“知識”と読んでいるだけなのです。

データの受け渡しに過ぎないのですから、その容量やメモリは脳にあたることになります。

おっと。
ここで問題がありますね。
「環境」という極めて自然的とされる言葉です。
しかし、ここでは環境自体も人が与えたものとするので、私の考えでは“プログラミング”であるとします。
なぜか。
今見ている木や、鳥。
彼らは私達人間が少なからず、影響を与えている存在になってしまっているためです。
付け加えると、昨日この街で生まれた鳥は、人間のことを知らないわけはないでしょう?ということです。
なので、本当の「自然」というものは存在しないことになります。

さて。
少し、飛ばして述べましたが、ここで題目の後者、マネジメントプログラムに移りたいと思います。
マネジメントの際、「I→You」であることが一般的です。
「いや、私の場合は考えさせるから、そうじゃないよ」という反論があるかと思います。
しかし、「考えさせる」という時点で、それは「I→You」という形に強制的になるのです。

冒頭で述べた、「人間はプログラミング〜うんたらかんたら」ですが、ここでこの思考パターンが非常に有効に働くのです。
つまり、「上司」も「部下」もプログラムであるのです!

・・・意味不明ですか。

端的にいうと、
『プログラム内での思考(今までの考え方)を把握しないと、そのプログラム内でしか思考できないため、自分のプログラムと相手のプログラムをまず共有することが重要!』
なのです。

出来る上司、という方はおそらく無意識のうちにこうしているはずです。(上から目線でごめんなさい・・・。)

なので、履歴書というものがある。という結論にも持って行くことができますよね。
(まぁおかしいのは、相手の履歴書がない、というこの社会ですが・・・)
一方的というのは、誰しもが嫌なことです。
名刺交換の際も、「私はこういう者です」「あ、私も」という関係ですよね。
立派なプログラム共有だと思うのですが・・・いかがでしょう。

文章が少々雑になってしまいましたが(いつも?)、
「人間はプログラミングされた私という個体」なので、理解するにはそのソースコードを晒し、「私はこういうソースコードで出来ていまして」という紹介をしないことには、意思疎通など不可能である、「人間はプログラムなのか?」という問いに対しての正しい答えなのではないでしょうか。

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