【保存版】一度は行ってみたい!カンボジアのアンコール・ワット旅行の抑えておくべきポイント!

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カンボジア|アンコール・ワット

時差も少ない上に気候も夏の日本に似ていることもありましたが、
アンコール・ワットがどうしても見たい、また経済成長率の高い国をみて、自分を奮い立たせたい。

一人旅で2泊5日、カンボジアのシェムリアップに行ってまいりました。

今回はそのアンコール・ワットに行く前に、知っておくべきポイントをお伝えいたします。

カンボジアの基礎情報

まずはカンボジアについて基礎情報をお伝えします。
これを知っておくのと知らないのとでは、観光時の充実さが違います。

国名 カンボジア王国(Kingdom of Cambodia)
人口 14.7百万人(2013年政府統計)
首都 プノンペン
民族 人口の90%がカンボジア人(クメール人)
平均年齢 約24歳(2014年)
宗教 仏教(一部少数民族はイスラム教)
政体 立憲君主制
主要産業 農業(GDPの30.5%)、工業(GDPの27.1%)、サービス業(GDPの42.4%)(2014年、ADB資料)
通貨 リエル (KHR)だが、完全なドル(USD)経済で通貨の流通量の80%以上がUSドル
なお、アメリカのコイン(セント)は使えません。
経済成長率 アジアでも屈指の7%という高い経済成長率を維持

経済成長率では、いかがでしょうか。
近辺主要諸国と比べても、非常に高い水準を保ったまま推移していることがわかります。

比較:カンボジアと近辺主要諸国の経済成長率

カンボジアとタイ、ベトナムの経済成長率の推移

また海外からの入国者数も年々増加し、カンボジアへ入国する外国人のうち、
国別で最も多いのは、隣国のベトナムであり、次いで中国、ラオス、韓国、タイ、日本の順です。

その他参考:外国人のカンボジア入国者数の推移

外国人のカンボジア入国者数の推移

カンボジアの地理

カンボジアの地理
カンボジアは東南アジアのインドシナ半島の中央部に位置し、
国土面積は陸地:176,520平方キロ、河水湖沼地:4,520平方キロで、
合計: 181,040 平方 km、隣国であるベトナムの約半分、
同じくタイの約三分の一、そして日本の北海道の約2倍の大きさです。

カンボジアの気候

平均気温は摂氏27度(華氏78度)、最低平均気温は摂氏17度(華氏68度)です。
相対湿度は夜のほうが高く、通常は90%以上、昼間の平均湿度は80%であり、
カンボジアは熱帯モンスーン気候に属しています。

  • 5月から10月:雨季
  • 11月から4月:乾季

上記、他のサイトでは雨季と乾季が違うことがありますが、
現地の方(カンボジア人)に聞いたので、これで間違いなさそうです。

平均気温は、約27度。

また一日中降り続くことは少なく、通常約2~3時間ほど激しいスコールがある程度です。

カンボジアの治安

カンボジアの治安

おそらく日本人が一番気にするであろう治安については、
「人が集まるところには、物乞い、スリも集まる。」を抑えておくぐらいで良いです。

日本より悪く、ヨーロッパ諸国よりも良いというのが感想です。

とはいえ、反政府組織や武装強盗団による犯罪は発生しています。
また、長期の内戦の影響により銃器が広く出回っているのも事実です。

なので、夜道や人ごみに気をつけること。が重要です。

私が行ったシェムリアップは、観光都市として経済的な自立を目指しているようで、
主要どころや通りには、至るところに警官が配備されていました。

カンボジアの内戦は外せない!絶対知っておくべき黒の時代

カンボジアは本当に最近まで22年にわたって内戦が続いていました。
簡単にどのようなことがあったかと申しますと「世界の冷戦」に巻き込まれる形で
カンボジア内でも内戦が起こりました。

追放された国王

カンボジアでは、第二次世界大戦後に、シハヌーク国王の下でフランスから独立を果たしましたが、
1970年アメリカの支援するロンノル政権によって、外遊中であったシハヌークが追放されてしまい、
内戦状態となりました。

敵の敵は味方!?

この時、共産主義の政治勢力、及び武装組織であった「クメール・ルージュ」と
シハヌーク国王は手を組み、打倒ロンノル政権を目指しました。
元々シハヌーク国王はクメール・ルージュとは敵対しておりましたが、
敵の敵は味方。こうして、亡命先の北京にて「カンプチア民族統一戦線」と「王国民族連合政府」を樹立し、
クメール・ルージュと組んで、政権を取り戻しました。

「カンボジアの悪夢」ポルポト政権

無事取り戻したかのように思った政権ですが、なんとシハヌークは3年もの間、
クメール・ルージュによって幽閉されてしまいます。

そのトップであったポル・ポトは過激派と知られていて、
国民の支持のあるシアヌークをただ活用しただけだったのです。
この間、処刑と強制労働により数百万人ともいわれる国民の命を奪いました。

「イケメン?はい。処刑」

ポルポトは、知識は人々の間に格差をもたらすとし、
字が読めたり、海外行ったことあったり、挙げ句の果てには、
子供に何か教えたり、腕時計してたり、イケメン&美女であったりするだけで
「知識人」とされ、次々に処刑されていきました。

ポル・ポト政権の崩壊

そうした混乱のなか、隣国からベトナム(アメリカの支援)が侵攻して、
ポル・ポト政権は、知識人が一切おらずそのほとんどが子供であったため、
タイ国境の山岳地帯へ逃走、政権は崩壊しました。

その後、ベトナムに支援されたヘン・サムリンが、カンプチア人民共和国を樹立しました。

中国からの支援を受けてタイ国境でゲリラ活動を展開していたポル・ポト派、
アメリカとASEANの支援を受けたソン・サン派、シアヌーク派の3派は連合し、
反ベトナムの「民主カンプチア連合政府」を発足させ、ヘン・サムリン政権と対峙しました。

内戦の終わり

内戦状態が続きましたが、1980年代後半になって冷戦が終わる雰囲気を見せ始めると、
共産主義国家の考えも柔和になってきたことにつて、各政権間で会談がもたれ、
1898年にはベトナム軍がカンボジアから完全撤退。
1993年に総選挙が行われ、シハヌークを国王とする新しいカンボジア王国が始まり、
内戦は終わりを迎えました。

肝心なカンボジアへの入国方法(ビザの取得)について

カンボジアに入国するには、ビザ(査証)が必要です。
私は、ベトナム航空を使い、シェムリアップ国際空港(Siem Reap International Airport:REP)へは成田空港からホーチミンのタンソンニャット国際空港経由で入りました。

ベトナム航空の機内食

※ 参考:ベトナム航空の機内食(あまり期待しないほうがよさそう)

ビザの取得方法は、e-VISA、空港、大使館の3つの取得方法がありますが、
私がおすすめするのは、空港での取得です。
というのも、e-Visaは偽サイトが多くあり、
また混雑状況にもよりますが、申請から取得まで5分程度で完了します。

必要なもの

  • パスポート
  • 写真一枚(4センチ×6センチ)← 日本で用意してきてください(※メガネは外すこと)
  • ビザ申請書
  • 費用:30USD

「ビザ申請書」は、機内で配布されることが通常らしいですが、
私の場合は、配布されず空港で取得しました。

記入例

カンボジア|ビザの書き方

記入事項の中で特に難しいものはなく、写真は、モノクロでもカラーでも問題ないそうです。
どこかのサイトで空港内で撮れるとあったのですが、そうしている方はゼロでしたので、
必ず用意していくと安心です。

アンコール・ワット観光への移動手段

アンコール・ワットがある、シェムリアップは首都プノンペンから、
長距離バス等での移動が可能です。(約7時間)

また、アンコール・ワットは、シェムリアップの中心部から北に6.5kmほど離れており、
公共交通機関はないため、観光バスかバイクタクシー、もしくはトゥクトゥクに乗ります。20-30分もあれば、到着します。

市内の様子

ちなみに心配するのは時間のルーズさ料金ですが、
前者は結構しっかりしています。後者は、交渉が必要になります。

とはいえ、市内からアンコール・ワットの送迎で1〜2$で行ってくれます。
不安な方は、ホテルのフロントに手配していただくことも可能です。

アンコール・ワットの歴史やポイントをご紹介!

正直、アンコール・ワットって有名で世界遺産だから一回観ておきたい!という方、歴史を知っていると面白さは段違いです。すべてを語ることはできませんが「なにがそんなにすごいのか?」抑えておくポイントをお伝えします。

今から1,000年も前に建てられた!

アンコール・ワットは12世紀(西暦1,101年〜1,200年)前半に建てられた、世界最大級の石の寺院で、幅約200mの堀をめぐらせ、
広さは東西1.5km、南北1.3km、総面積40万㎡と、奈良の平城宮の規模(東西4.3km、南北4.8kmに加え、東西1.6km、南北2.1kmの外京があり、総面積2400 万㎡)には劣るものの、東京ドーム約15個分の広さと非常に大きな遺跡です。

明け方のアンコールワット

また、アンコール・ワットとは、サンスクリット語でアンコールは王都、クメール語でワットは寺院を意味します。

接合部分は、接着剤などは一切使わず、主に砂岩とラテライトを積み上げて作っているというので驚きです。屋根は壁の石を内側に少しずつ迫り出して架ける工法が用いられています。
石工、運搬、建築など、直接関わった人だけで、9千〜1万5千人。総がかりで、約35年掛けて造成したとされています。

アンコール・ワットだけじゃない!26名の王の存在!

カンボジアでは、9世紀以降、約550年にわたり、26名の王達によって、いくつもの都城が造られました。
こうした都城は、王の力を誇示するために作られ、その全権を行使して、民を使い、権威を示したとされています。
また、完全な実力主義で、基本的に父から息子へ王権が移ることは稀であったそうで、
肉親とも戦うなど、王位争奪は激しいものでした。

アンコールワットはその1つで、スーリヤヴァルマン2世(Suryavarman II)という
クメール王朝(現在のカンボジア付近)の王が建てたとされています。

当初はヒンドゥー教だった!

カンボジアは仏教の国です。
ですが、実はこの寺院。建てられた当初はヴィシュヌ神を祀るヒンドゥー教の寺院でした。
12世紀後半、アンコールの王都はその当時のベトナム中部に興ったチャンパ王国に占領されていたのですが、
大乗仏教(上座アブ仏教)を信奉する国王、ジャヤヴァルマン七世(在位1181年~1218年)が
チャンパ王国から取り戻し、その孫であるソタ-王が仏教寺院を建てました。

ジャヤヴァルマン七世アンコール・トムの造営、仏教寺院の建設をはじめ国内基盤の整備・拡大を行い、
アンコール王朝は、この時が最盛期となりました。

アンコール・トム

アンコール・トム

ただし、度重なる遠征や寺院の建設などで、民が疲弊して、15世紀前半にシャム(タイ)のアユタヤ朝に侵略され、
王都アンコールは、陥落・放棄、その後王都は数次の遷都を重ねることになりました。

ヒンドゥー教のシヴァ派によって削り取られた仏教像

ヒンドゥー教のシヴァ派によって削り取られた仏教像

第一回廊とレリーフは一見の価値あり!

壁にある浮き彫り細工(レリーフ)は、東西215m、南北187mの回廊は全長が約800mもあり、
ぐるりとその一周を覆っています。

アンコールワット平面図

※ https://blogs.yahoo.co.jp/soreikemami/folder/1238789.html?m=lc参照

特に乳海攪拌(にゅうかいかくはん)は、ヒンドゥー教の世界のなかで、
神々や太陽、月、そして雲や雷などはどのように誕生したのか、
日蝕や月蝕はなぜ生まれたのかを知ることができる天地創造神話です。

レリーフ:天地創造神話

ただし、残念なことに多くの人はその壁画を触ってしまい、テカリのようなものができてしまっていました。
これは本当に残念でした。

カンボジアはいつもアンコール・ワットと共にあった!

カンボジアの国旗を調べてみると、幾度となく、その国が混乱に陥ったことを証明するように
短い期間で多くの国旗が生まれています。

しかしながら、面白いことにカンボジア統治化であった時は、常にアンコール・ワットが描かれています。
それだけに、カンボジア人にとって大切な地に訪れることができたことを嬉しく思いました。

カンボジアの国旗

カンボジアの国旗

なお、左から、順番に下記の通り。(一番上は現行の国旗)

  • フランス統治時代(1863~1948年)
  • シアヌーク国家元首時代(1948~70年)
  • ロン・ノル政権時代(1970~75年)
  • ポル・ポト政権時代(1975~79年)
  • ヘン・サムリン政権時代(1979~89年)
  • カンボジア国時代(1989~91年)
  • 国連暫定統治機構時代(1991~93年)
  • フン・セン政権時代(93年~現在)

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